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表現としてのDJミックス“ダンス”や“ビート”からも開放し、リスニング体験を拡大し、新たな展開を見せ、話題をさらったコンピューマのリラックス&アンビエントなサウンドスケープ・ミックス『Something In The Air』。そして、次なるニュー・ミックスは『MAGNETIC -exploring the future of funk in the universe-』すでに巷で話題となっているので手元にあるという方も多いだろう。

前回同様、4パートで仕切られた本作は、ライヴ・エレクトロニクスなど電子音が描く宇宙を遊泳するパート1にはじまる。パート2~3は、パート1でうねる電子音が内包するミクロのファンクネスを、徐々にビートへと増幅させ、エレクトロ~アシッド・ハウス~ポスト・ダブステップなどなどへと展開していく。そしてパート4はこれまた電子音が痙攣し、夢想の宇宙の中へと帰っていく。電子音で描かれる森羅万象に潜む“Funk”――静の中にも潜む微細なる“Funk”を、そしてビートの間でダイナミックに動く“Funk”を、ミクロからマクロ、自在に大きさを変えながら探求する、そんなサウンドスケープを描いたミックスCDとなっている。

そして、4つのパートの構成といい、中盤のビートの再生感覚といい、これまた『Something In The Air』の意匠を次ぐような、単なるフロアでのプレイをそのまま封じ込めたミックスとはまた違った表現の領域に足を踏み入れたミックスとなっている。

本作の柱は、電子音楽、そしてサブ・タイトルに示されているようにファンクだ。そう、このテーマときて、コンピューマとくればエレクトロだろう。上記のように中盤では、作品としてはスマーフ男組以来ひさびさに彼のそのエレクトロへの愛情が顔をひょっこり出している。

ということで、こちらでは『MAGNETIC -exploring the future of funk in the universe-』のリリースを記念して、本ミックスCDの解説的なところを含め特別対談を送りしよう。場所は本作や前作などもレコーディングにて使用した幡ヶ谷のDIYなスポット〈Forestlimit〉、そしてコンピューマの対談相手は、80年代末から日本のクラブ・カルチャー黎明期からDJとして、そしてライターとしても活躍し、この国のシーンの礎を築いた人物のひとり、荏開津広氏をお招きした。氏とコンピューマと言えば、文中にもあるように90年代末のジャパニーズ・エレクトロ・コンピ『Ill-Centrik Funk Vol.1』やイヴェント〈エレクトロ・サミット〉などを通して、そのエレクトロへの愛情にて結ばれております。

ひょんなことから実現した今回の対談。本ミックスCDの解説的なところはもちろんのこと、エレクトロ、そしてクラブ・シーンや、音楽、ライフスタイルに至るまで、ギュっとおいしい話が盛りだくさん。それではどうぞお楽しみください。

(テキスト/ 構成:河村祐介)

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松永:いや、青春時代に荏開津さんので、いろいろ読んだり勉強させてもらって。

荏開津:もう、適当な文章書いてたので本当すいませんね……。

松永:いやいや! 

荏開津:ここで、ほめ合ってもしょうがないですよ(笑)。

松永:まぁ、このあたりは会話の前フリというところで……。今回ミックスCDを作って、荏開津さんに聴いていただきたいなと連絡させていただいて、お声かけさせていただいんですけど。

荏開津:いや、こちらこそ、ありがとうございます。どっから話そうかな……松永さんとは、どこかに書いたこともあると思うんですけど、スマーフ(男組)のみなさんとレコードを買いにいったことがあって、そのときにすごいショックだったんですよね。

松永:行きましたね(笑)。

荏開津:僕は、その昔、DJとしてなんでやっていけたのかと言うと、収入をほぼレコードに使ってたからなんですよ。客観的には僕よりお金や時間を使っていた人っていくらでもいるでしょうけど、ともかく自分の限界としては使ってると自信が出ますよね?で、レコードをとにかく買ってて、「レコード屋にいる滞空時間長いよ、俺」みたいな自信はそれなりにあったんですけど。全然、スマーフの人たちにはかなわなくて(笑)。100円コーナーを掘るのっとかって、一度は必ずやるじゃないですか? でも、本当にここまで見る人がいるのかなっていうぐらい、本当に離れなくて(笑)。なんだかよく一緒にいた時期ですよね。

松永:〈エレクトロ・サミット〉の前後とか『Ill-Centrik Funk Vol.1』(注1)とかの流れですよね。98年くらいとか。

荏開津:そうそう。そのときは、あまりにも長くて、だからレコード屋を先に出て。「いや~さすがになにも見つからないでしょう」ってぶっちゃけ思ってたところはあったんですが。そしたら、そのレコード屋さんのから数時間後にまた会ったんですよ。そしたら、その100円コーナーに「ラテン・ラスカルズ(注2)のエディットものがあった」とか言ってて、それを聞いたときは「えー」って感じの出来事でしたよ(笑)。

■まさかのですね。

荏開津:「あそこにあるわけないでしょ」って、本当に冗談だと思ってたら本当で。あとは、その頃、エディットに関していろいろ仮説を聴かせてもらったりして、その話とかも目から鱗が落ちる感じで。

松永:スマーフに関しては、マジアレこと、村松さん(注3)の存在もやっぱり……。

荏開津:マジアレさんがね(笑)。

松永:彼がものすごくものすごかったので。

荏開津:あの頃は、会ったらみんなでレコード屋にいくみたいな感じありましたよね。

松永:エディットの話とか無理矢理に荏開津さんにしてましたね。「エディットやってたのは、プエルトリカンが多いからラテン・パーカッションのリズムやグルーヴをテープ・エディットで刻んでたんじゃないか」という話なんですけど。それはかなり妄想も含めた話で(笑)。

荏開津:いや、そうですよ。絶対、そうだと思いますよ。

松永:本当に想像力と妄想なんですけど、村松さんと一緒に、荏開津さんに力説してて。

荏開津:でも、その話聞いたときは本当にびっくりしたんですよね。なんというか、ここからは自分の話なんですけど、DJやってると、理論立ててミックスとかしてるとDJダサくなるんですね。僕はやっぱり批評家的なDJで、いろいろなアーティストや彼らの曲を聞いて文脈を整理して、そのうえであちこちにつなげ直すという作業するDJだったんですね。でも、一般的に音楽ライターがある程度文脈を整理して曲をかけることができるなんて、当たり前じゃないですか。ほんとうにすごいDJってそういう整理した流れとかは別に、爆発する瞬間を作り出せるんです。僕はそういう才能はないうえに、回りがそういう人たちだったんで、かなりへこんでましたね。松永さんたちに会ったときはちょうどその頃で、僕はあんまり音楽については考えないようにして、感じよう、感じようとしてて。そういうときに、松永さんがサン・ラー(注4)のこととかエディットのこととかを話してて。サン・ラーとかも、特に彼についての文章が中途半端に分析的な文章も多かった印象もあって、そういう部分で自分で排除してたんですね。でも、松永さんの話を聞いて「この人たちは音楽を聴く楽しみを減らさないで、でも、いろいろ考えてる人たちだ」と思って、なんか自分が音楽を聞き始めた頃の気持ちに戻してもらえたような気持ちになりました。なんか普段のDJとしての生活にかまけて、きちんと音楽を聴いてないんじゃないか?と考え直したりしました。

松永:いえいえ、恐縮すぎます。でも、なんだか、荏開津さんの言わんとされていることもよく理解できるというか。でも、荏開津さん自体は、サン・ラーが影響を与えたジャズとか、すごい当時紹介されてたじゃないですか。

荏開津:だからね……本当にすいません(笑)。

松永:僕らなんか、そのあたりから辿ってサン・ラーとか知ったんですもん。

荏開津:自分にはわからないというか、そっちに行かないようにしてたんですよ。「だって、そっち行ったらズブズブだもん」みたいな。そういえば、いま思い出して……ちょっと話ずれちゃうんですが、昔、ライターの仕事でランキン・タクシーさんとこだま(和文)さんの対談をして、ランキンさんもこだまさんもそれぞれすごい好きだったんですけど、ふたりがどういう形での知り合いか知らなくて……。そしたら結構、ランキンさんのほうが先輩なんですね?で、ふたりともどんどん飲みはじめて、で、その企画はシーンの昔話をするものだったんですよ。そのなかでふたりの話題が「クラブって言うのは」みたいな話がはじまって。こだまさんは「自由な場所であるべきで、寝たって良いんだよ」というところまで行って、で、それに対してランキンさんは「それは違う!」みたいな、ちょっと言い合いする感じになってて(笑)。

■こだまさんのその感じ、ありますよね。

荏開津:ですよね。それで、これはどうしようかなと思って……その話を聞いて思ったのは、たぶん、ランキンさんはサウンドシステムを自分で作ったりっていうのがあるから、遊び場に対しての心持ちが違うというか。ダンディーであるべきだ、と。こだまさんはもうちょっとヒッピーというか自由にやれれば良いというか・・・クラブでの立ち振る舞いの話はそこでかかる音楽とも関連してきますね?ダンスホールがかかるクラブが頭にあれば、そこで寝るなんてとんでもないわけです。運が悪ければ身ぐるみ剥がされて終わりです。でも、野外のレイヴが頭にあれば寝てもいですよね?この話で、なにが言いたいかと言うと、当時の自分って、その逆にクラブでDJをやって、それでお金稼いで食っていかなきゃいけないというところから、音楽の聴き方を制限してたところがあって。ランキンさんの音楽の聞き方ではないですよ、そうではなく、人は生活と音楽の聞き方を切り離すのが難しいということです。後に、いろんな人に会って、「もっと自由に音楽と接するやり方があるんだな」とか「恥ずかしいけど、なんでこんなに狭い聴き方してたんだろう」って思うようになって。そうやって考え方変わっていく契機のひとりだったのが、松永さんだったり、村松さんだったりして。あとは中原(昌也)氏とか。例えば、中原氏とレコード店で会ったときに、「なにか良いのある?」って訊いたら、「コレで」ってドローンのCDをすすめてくれたり(笑)。普段は、そういうものって聴かないんだけど「中原氏が推薦してくれたし買おうかな」と、それからそのドローンのCDをずっと聴くようになったり。そういうののひとつが松永さんたちから教わったサン・ラーだったりして。

 

松永:なんとなくですけど、自分もDJをほそぼそとやらさせてもらったりしてて、クラブの考え方って、世代によってもすごい違いますよね。

荏開津:そうですね。違うでしょうね。

松永:かつて、自分が20歳の頃遊びに行ってたクラブというのは、サン・ラーはおろか、やはり、BPMがある程度一定か、ノリの良い曲をかかってないといけない、本当にパーティというか、わりと賑々しい感じものが許されてという感じだったと思うんですけど。それ以外のものは、表に知られていないというか、クラブという空間にはあまり感じれなかったと思うんですよ。当時の自分が知り得なかっただけかもしれませんけど。

荏開津:そうですね。

松永:それから90年代前後からバブルが崩壊しつつあるときくらいまで、例えば、ヒップホップのネタもの含めたレアグルーヴもそうですし、アシッドジャズ、サバービア、フリーソウル、アンビエント、モンドなどなど、新たな音楽の楽しみ方の提案がされはじめたり、その後、ボアダムスや、宇川(直宏)さんだったり、中原(昌也)君、そしてLOS APSON?とかもそうですけど、ある種、スタイリッシュにまとめられた印象の音楽の楽しみかたからも更に逸脱していくというか、その上での提案というか、そこから先に行きたい!というか、何というか、クラブやライブハウスでのいろんな楽しみのカタチがあっても良いというような感覚になったのかなと。決してノリの良い音楽がかかってるだけじゃなくて。

荏開津:当時のクラブが悪いというわけではないけど、でもなんか、うまく言えないというか難しいですね……。

■ちょこっといまの話に付随して、今回のミックスCDとか前作の『Something In The Air』を聴いて思いついたもので、話のネタに持って来たんですが。デヴィッド・トゥープがやっている『Ocean Of Sound』(注5)。これとか一連のヴァージンから出てるアンビエント・シリーズのコンピなんですが、このあたりはテクノもあったり、サン・ラー、ドビュッシューが並列に入ってて、DJカルチャー以降のさらなる自由な聴き方とかそういった部分で近い部分があるのかなと思ったんですけど。これは1996年のものですけど。

松永:たぶん、そういうのをメジャー・レーベルがちゃんとした形で、ドンと出したのは「Ocean Of Sound」の前の「AMBIENT」シリーズ含めて、僕の知る限りでは、Virginのこのシリーズが先人だった気がする。

■もちろん、それをそのままというわけではないと思うのですが、90年代後半に向かって行くなかで時代の空気として、DJカルチャーが浸透した後にこういう自由な聴き方みたいなのがあったのかなと。

松永:たしかに、ああいう聴き方の提示とかは大きいですよね。たしか、このシリーズでエレクトロとかも出たんですよね。

荏開津:さっき、自分の思い出をバーっとしゃべっちゃったけど、聴き方が変わって来たのかな、たしかにその時期に。

松永:なんかそんな気もするんですよね。

荏開津:たしかにね。そうかもしれない。そこから俺なんて、2000年にDJ辞めちゃったんだから。意味が見いだせなくなって。まぁ、聴き方が変わってきたっていう話……でも、世界的にある意味で変化もあったってこと?

松永:そういう感覚もあるかもしれませんね。それぞれジャンルがあって、さらにジャンルを超えてというのも当たり前になって、それさえも成熟して、単に飛び越えれば良いとか、他から取り入れば良いというだけじゃなくて、そこからさらにどれだけ自分の形みたいなものを作るというのが、いまの時代のような気がして。

荏開津:それは、そうですね。

松永:その部分でより成熟した時代にいまは入ったんじゃないかと思ってて。でもやっぱり荏開津さんが言われたように、クラブっていうのは楽しい場で無くてはならないっていうのは基本としてはあると思うから。

荏開津:そうですよ、楽しい場所でないと。やじゃないですか!夜遅く起きて音楽聞いて楽しくなかったら!!

松永:あとは、いろいろな現場に行ってDJやらせてもらって思うのは、いま割と小さいところが増えていて、ここ(Forestlimit)もそうだし、都内だけでも一杯あって、地方にたくさんあって、それぞれの場所によって、音の鳴り方も楽しみ方も違ってたり、そういう違いもおもしろい時代に入ってきているような気がして。

荏開津:というか、僕はそうじゃないとダメだなと思ってて。僕がDJはじめたときは、クラブなんて都内でも数件しかなかった時代で、で、DJっていうかっこいいことをやってるんだって提示しなくちゃいけないわけです。なぜかというと、これからクラブ・シーンを盛り上げたいんですから。そこがあとから来た人たちと一番違うところかも知れないですね。だから、やっぱりそれで生活しないといけない。あとからくる若い才能を集めるためにDJっていうのはお金になって楽しいことだって見せなきゃいけないから。今話すとバカみたいですね。でも、本気でした。みんなそうだったと思います。で、その生活のために、例えば周りのDJとかも制作とかいろいろやるんですが、でもなんかそういうのが嫌になってという、そんなことをやりたいがためにDJをやってるんじゃないと思っていろいろつまらなくなって。で、僕個人としては、これはやり方をもっと変えなくちゃいけないと思ったんですよ。で、今回、松永さんのミックスCDもそうですけど、あとは松永さんからこの場所のこととか教えてもらって、すごい良いなと思って。経済として成り立たないと、もちろん死んじゃうから、そこは大事なんだけど。人に届けたいからとか、わかりやすくっていうのは良い事だとは思うんですけど、そればかりになると、最初思ってたことと、変わってしまったりということが多くないかなと思ってて。100人とか50人、25人とか、お客さん、そこに対して単に一桁増えるだけっていうのはそこまで大事かなっていうのを最近思ってて。本人が経済的に潤う以外に良いことあるかなと。もちろん、それも大事ですが。

■目的がズレてしまうというか。

荏開津:これは理屈とか論理というよりも、わりかし自分の人生の経験みたいなところなんだけど。そこがズレちゃうと、「何のためにやってるんだろう」って思ってしまったことがあって。そういうことを考えると、人が聴いてない、人気のないレコードとか聴くのって意味が違ってくるなと思ってて。ポピュラーなレコード、言ってしまえば声が大きい人が良いのであれば「全員がそれを聴けば良いじゃん」で終わっちゃうでしょ。そしたら、全員がビートルズで良いじゃんっていうことになるわけで。もちろんビートルズは良いんだけど。

松永:大多数派と少数派は、いつの時代にもあると思うんですけど、今の時代は特に、共有できる少数派のひとたちに確実に届けるっていうやり方も手段のひとつとしてあると思うんですね。しかも、その少数派も何パターンしか無かった印象だったのが、より細かくいっぱいいると思えるような印象もあって。それを届ける作業というのも、こういう何かを表現することにおいて、確実に突き刺さりそうな人に、確実に少しずつでも突き刺していくというか共有するというか。そういう少数派みたいな人たちがもっと増えることにこしたことはないですけど。自分ではもちろんメインストリームな感覚と気持ちでやらせていただいてはいるのですが、どうやら僕がやっていることは、どうも少数派的な部分が強いんではないかと(笑)。このミックスCDは、そんな中で自分がやりたい世界のひとつを、ひとつの形として探求してみたという感じで。

 

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