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new year 2019

2019.1.2.WED-1.4.FRI

forestlimit 48H New Year Party
at bonobo

-When the Going Gets Tough, the Tough Get Going-

Isn’t it? x forestlimit x bonobo

 

ENTRANCE 1500yen

1.2-1500

1500Napalm K
1700花澤王
1800eminemsaiko
1900脳BRAIN
2000小林 径
2100アート倉持(黒パイプ)
2150AKIRAM EN
2250 AJIKI(QUEST)
1.3-2400

2420DJ YAZI
0220Cera Khin
0420FUCK MASTA FUCK
0600Arisa Shirota
0800you me
1000YELLOWUHURU

1.3-1200

1200DJ SOYBEANS x Sports-koide
1400NODA
1515KΣITO
1550とも奴
1555テンテンコ
1630HIKARI (Granule)
1730 LSTNGT
1805moshimoshi(黒電話666)
1900李 ペリー
2000AIWABEATZ
2100ZuKaRoHi
2230ROCKDOWN

1.4-2400

2400将軍(fluid-Nagoya)
0200speedy lee genesis
0330Dr.Nishimura
0500MAKKOTRON A.K.A. ひよこ
0630HOBO BRAZIL
0900Chee Shimizu
1100Shhhhh

1.4-1200

1300SEI(bonobo)
1400Napalm K
1500FIN

 

On A Tough Road

Text: Hayato Takahashi

 

A ‘tough road’ implies that something not easy awaits you, or the way itself, through which you have proceeded, would become something unexpected. In that case, what you have believed in suddenly turns out meaningless, and where you are situated at the moment become a prison, in which you face the instability of your existence. This is the hell on the earth. However, at the same time, that is the ‘wild side’ of life, which Lou Reed paved for us, or Prince’s ‘pop life’ of the mayhem that combines hope with despair.

 

It is not hard to imagine a tough road will appear, —or have already appeared— in front of us in the near future. In order to prepare for that, perhaps, looking back on the history would give us an insight. Spinoza was a tough philosopher who walked on a similar pathway in the 17 century. He was born in a Jewish district in Amsterdam, where he was excommunicated later because he criticized the traditional notion of the God. Although he lost his position as a philosopher, he didn’t give up his philosophy and life, then making his living as a lens grinder with a support from his friends. Spinoza didn’t follow someone’s moral which was prepared for someone else, and rather tried to create his own ethics for himself and the others.

 

Spinoza’s way of life still has a reality today. A day-job for survival. Making a route of money outside the existing industry.  Receiving sympathies from his supporters who appreciate his writings. It goes without saying that these are true of many music producers/DJs. In this society, there are humans such as Yozawa Tsubasa, who accelerates the proposition of wealth accumulation until money becomes nothing but weight. In that sense, he also creates an extreme route of capital. However, it is also possible to re-write the rule of capital by prioritizing your creation or way of life rather than the accumulation of wealth. Music, creation and a life that resonates with them are open to the re-writing process. In addition, more than anything, the appreciation of creation and its subsidiary movement of money can potentially allow you to help others. This is why you feel the emerging road so hard. Only people who simultaneously create and proceed thorough their new routes are allowed to walk on the tough road.

 

“The Gone Gets Tough, The Tough Get Gone” is a tough party for tough people in a tough place. Their music adds a spatial and festive expansion to the 48 hour long toughness. Its lineups show the intensity of the expansion. Chee Shimizu suggests an organic musicview. Akiram feed-forwards his obscure concept of DJ from the 1974-1992 period to 2018. Kei Kobayashi, whose life itself is a science of music and DJing. The number of the DJs is over 30, and they will select tracks which sound in the coming tough season. Its progression is always unexpected. Every year the 48 hours go beyond the boundary of irregularity and regularity, genres and preference, and clubs and events. As the same goes for your life, no one can tell what awaits you in the end of the party. The going gets tough, the tough gets going. If you are keen to know the future, you can just bring your body into the space.

 

タフな道について

文:髙橋勇人

 

「タフな道」が暗示するもの。それは容易ではない何かが待ち受けている、あるいはこれまで歩んできた経路そのものが、予期しなかった何かに変化しうるということだ。その場合、あなたがこれまで信じてきたものは突如意味をなさなくなり、あなたが据え置かれている場所が、自分の存在の不安定さに直面する牢獄になってしまう。まさに地球上の地獄である。けれども同時に、それはルー・リードが我々のために舗装した人生の「ワイルド・サイド」であり、あるいは希望と絶望を結びつけるプリンスの「ポップ・ライフ」である。

 

近い将来、タフな道が我々の目の前に現れることを、—あるいはもう既に現れていることを—想像することは難しいことではない。それに備えるために、ひょっとしたら、歴史を振り返ることによって、何かヒントが見えてくるかもしれない。17世紀の哲学者、スピノザは同様の道のりを歩んでいる。アムステルダムのユダヤ人居住区に生まれた彼は、のちに伝統的な神の概念を批判したことによって破門されてしまう。彼の哲学者としての地位は失落してしまったものの、スピノザは自身の哲学と人生を諦めることはなく、晩年は友人の支援を受けつつ、レンズ磨きとして生計を立てて行った。スピノザは誰かが誰かのために用意したモラル従うのではなく、自分と他者のために倫理を作り出そうとしたのだ。

 

スピノザの生き方は現在においても実にリアリティを持っている。デイジョブでサバイブしつつ、既存の産業の外部に金銭ルート作り出し、自らの文章でサポーターの共感を得る。このケースは多くの音楽プロデューサー/DJに当てはまることは言うまでもない。この社会には与沢翼のようにお金がただの重さにしか感じられなくなるまで、富の蓄積の至上命題を加速させる人間もいる。彼もその意味ではエクストリームな資本のルートを作り出してはいる。だが、富の蓄積を目的にするのではなく、創作、あるいは生き方を主軸にすることによっても、資本のルールを書き換えることができる。音楽や創作活動、ひいてはそこに共感を寄せる人生は、常にその書き換えに開かれている。そして何よりも、鑑賞やそれに付随する金銭の移動には他者を助けるポテンシャルがある。そこに生じる道のりがタフに感じるのには理由がある。なぜなら、ルートの制作と進行を同時に行う者にのみ、冒頭のタフな道を通ることが許されているからだ。

 

タフな場所に生きるタフな人間のためのタフなパーティ、それが“The Gone Gets Tough, The Tough Get Gone”である。48時間という時間的なタフさ、そこに音楽が空間的で祝祭的な広がりを加える。その一部を鑑みても、その広がりの強度は計り知れない。有機体的音楽観を提示するChee Simizu。そのオブスキュアなDJ概念を1974年-92年から2018年にフィードフォワードさせるAkiram En。そのキャリアが音楽とDJを科学している小林径。約30組の出演者たちはタフな季節に鳴る音をセレクトする。その流れは予期できるものではない。あるいはこの出演者たちは予期されることなど望んではいない。特異と凡百、ジャンルや嗜好、さらにはクラブやイベントの壁さえも超える48時間の向こうに何があるかは、タフな生き方と同様に毎年誰にもわからない。状況がタフになるとき、タフな人間が動きだす。未来が気になるのであれば、あなたはただ、この空間に身を運べばいい。

 

2019年、新年会によせて 文責 ナパーム片岡

明けましておめでとうございます。新年の空気は良いですね。良いことも悪いことも積もり積もったあれこれを一旦仕切り直せるような気分になります。

フォレストリミットは今年9周目の新年を迎え、そして今回も神宮前のbonoboさんで恒例の新年会を開催させていただくことになりました。去年と同じようで違うこともあります。Isn’t it?を主催する  DJ Soybeans君が昨年から仲間として一緒に動きだしました。新しい年を迎え、もう一人の重要人物も加わる予定です。私(たちは)9年前に事業をスタートしましたが、特異な立場と考えからか何度も倒産の瀬戸際まで追い詰められ、しかしなんとか生き残っています。

計算も打算も無いような、今までのルールと異なったような、そんなオルタナティブな気概を持って仕事に邁進してまいりましたが、実際のところ計算も打算もできない融通の利かない若者たちが寄り添い、アートとコミュティーとかそんなむずかしいことも考えながら、ただ実際には遊び倒すような日々の中で、なぜか続いてしまった、というのが実際のところだと思います。

そして今、店が存続することの価値と意義を感じています。考えていたことに血が通い、実際の効力のある力が現場にあふれています。そこで、ようやくここにきて、なんとなく続けていたことの意義と意味を再考し、また受け入れつつあります。その力を長く持続させることについて考えています。

以下、これを書いているナパーム片岡個人の感慨を織り交ぜての新年の挨拶となります。

私が思うに、フォレストリミット の力の源泉でありまた弱点であったこと。それは事業性の低さだと考えています。それだとネガティブな言い方になってしまうので、言い換えると、この空間を事業として考えるのではなく、新しい共生のための実験として、文化の発信する場所として、まずはプロ意識やその方法論、経済的採算を度外視して動くことに意味があるような気がしました(DIYなんてアプローチはその際立った態度です)。更に言えば、日々なし崩しになっていく理念の根元にそういうコンセプトがあるらしい、という程度で止めること、実際はなし崩しになっていくからそのようにしかならない、という程度で成り立つこと、の際で日々すごすことが実際に重要でした。なんでも良いというのとは違うのですけど、実際はなんでもよかったのかもしれません。いかようにでも解釈できるけど、なにかを名付けてしまったら途端に違和感に見舞われる。そんな複雑でどうしようもない感じに、オルタナティブを幻視していました。つまり、世界への違和感への態度表明でした。

それで、私の上記のような事情とは別に、また緩やかに連体しながら今フォレストリミット には素晴らしい才能が、日本中のローカルから、世界中のローカルから集いはじめて、ひょっとしてどうにかなるんじゃないのか?という感慨を前に、私は事業性について一年間考えていましたし、私の担当する領域についてゆっくりですが少しづつ店の様態を変えてきました。アマチュアがプロの道をたどる時、その情熱を保ったままならば、とんでもない強さを身につけられるのではないかしら。

エモーションではなく売上で結託するアートもあるかもしれない。そもそも誰が芸術と金は両立しないといったのだ。とか、例えば上記のように、空間を規定するコンセプトは多様に存在し、対立したり結託したりして、また日替わりでその関係も揺らいでいきます。当店の事業の中核がイベントスペースであることはそのようなことを体現するためにとても便利な業態で、また強さも発揮できます。いったん自分の中の憶断を取り去り、改めて我々の強さを叩き直そう、弱さを克服しよう、そんなことを考えた時、しかしまたパーティースペースとしての私たちの強さも鍛錬しないとならないです。

どのようなマイナーなことでさえ人の営みだから、小さな力や孤独も世界中から集めれば大きな力になるでしょう。(よく考えればその感覚は若い頃お世話になったマイナーアートのコミュニティーから学びましたし、憧れていた。それは電子雑音というムーブメントでしたが、編集長が亡くなって実質的に霧散していきました。そのこと自体に今大きく学んでいます)

渋谷の辺境からコスモポリタンな気概を持って、社会の中で居場所を継続させる。それはつまり売上を叩き出して経費を払い、その上で毎度のイベントを成功させていくことの繰り返しで、その循環自体も価値があり、それを支える美学と気概にも価値があります。(ただ、個人的な感覚ですが、ある種の構造的なつまらなさも感じていると告白しとかないと。)とはいえ日々の感慨は素晴らしく充実しているのだし、成功したパーティは素晴らしい体験を導くし、パーティが成功し続けることはなお素晴らしいことです。

現場の雰囲気が、日々の積み重ねから少しずつムードを変えてきている。そのムードはポジティブな力に満ちていて強い。作るのは難しいのだけど壊すのは簡単なそんな曖昧な力を、現場で高めつつ来るべき未来に向かって今年一年もまた生き残りたいと思います。そんなこんなで今年一年の吉凶を占う年初めの新年会を、渋谷の端っこの神宮前bonobosさんで、同じく端っこの幡ヶ谷forestlimitが企画することはとても意義があるし、実際楽しそうですよね?ご来場お待ちしています。