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祝辞:AROUND FORESTLIMIT(FIRST DRAFT)

これから浮舌とゆみちゃんのことについて書きたいと思うが、その文章の多くをFORESTLIMITと私のことに費やしている。過度な自分語りは控えたいものだが、その二つを軸にしか私はものをみれていないし、フジタとゆみちゃんとの関わりあいはFORESTLIMITを軸に構築されていったから必要なことだと思う。ここに書く物語は真実に基づいており本心を綴った。

浮舌と出会ったのはもう八年も前のことだろうか。
私は、ある運動の行き詰まりを感じており、無鉄砲に「場所」をつくることを考えていた。
大学を辞めたばかりで情熱を傾けるものもなく鬱屈した日々だった。
そんななかでもがき苦しんでいたため焦燥感は強く、また社会から隔絶されたような存在だった。

場所をつくるといってもこれが笑ってしまうほど無計画で、またスペースの運営などしたこともなかっため、ノウハウも無くまったく確信も無く物事を進めていた。
といってもまったくなにも青写真がないわけではない。計画というよりも理念的なものなのだが、場所に人が集り交流するなかから時代の閉塞感のようなものを打開したいと個人的には思っていた。今思えばそれは私の人生の行き詰まりでもあったのかもしれないし理念としては精度が非常に低いものだったが、私はスペース開設を自己資金のみで開始しようとしていた。

自己資金で開始、というのには補注がいる。本来は銀行から融資を受けるつもりでいたが、まったくの素人の私は門前払いをくらっていた。完全な見切り発車だったが、自己資金で今forestlimitがある場所を賃貸契約をしたのは2009年10月だったか。それから造作の計画を進めていたが、銀行からの融資が得られず、賃貸契約で大幅に自己資金を減らしてしまっていて造作の資金もなくなっていった。開店前に開店が危ぶまれる状態まで完全に追いつめられていった。そんな窮地の折、浮舌からお金がないなら自分たちでやればいいじゃないか、と持ちかけられた。私たちは設計士に発注していた計画書を反故にし、トイレと防音のみ業者に発注してまっさらな四角い箱をスタート地点とし、DIYで棚やバーなどをつくっていった。工事を主に主導したのは20tn!のドラムの人である。開業は2010年3月。DIYでの突貫工事は二ヶ月に及んだ。

当時DIYが見直されていた時流もあり、最低限の素地は着々と作られていった。たんなる偶然であるが時代が私たちを後押ししてくれたのはありがたかったし、そのチャンスを手に入れるだけの情熱をもって日々の仕事を遂行していった。無定形なフォレストリミットの形態は3年程度続いたと思う。日夜話しあい、少しずつ手を加え、あるいは壊し、「型」の模索は続いていった。同じ釜の飯を食って日々珍妙な実験を繰り返す、そんな日々だった。偶然だが、forestlimitの創立メンバーはみんな美大出身であり、あの独特のリベラルな雰囲気が共通認識としてあたのかもしれない。採算は度外視し、とにかくやりたいことだけをやり続けていた。

forestlimitは人のもっている初期衝動を刺激するのかもしれない。それはこの場所が初期衝動の巨大な固まりであり、そのエネルギーに満ちあふれているからだ。forestlimitにはラグジュアリーな内装も高級な酒もないが、青臭いまでに情熱的なフリーを求める根源的な力が備わっていると私は思う。それは「そのようにしかならなかった」という話の帰結であるが、狂おしいまでの情熱が唯一あったのだ。人並みはずれた個々のパッションの集合体ただそれだけである。

経験は最大の学習教材である。forestlimitはクラブでもライブハウスでもない・・・あえて規定すればフリースペースなのだが、商業ベースでやっていることに無理を感じつつも、既存のスキームから逸脱したEVENT(事件)を数多く巻き起こしてきたと思う。現場がいろいろなことを教えてくれた。そのような意味では貴重な7年間だった。現在、浮舌は当店のデザイナーとしてフライヤーのデザインやMVの制作をしくれている。彼のストレンジでハイクオリティなアートワークはフォレストリミットの大切なエレメントが全て凝縮されている象徴的な存在だと思う。私自身、浮舌のモノの捉え方に感嘆しつつ多いにリスペクトしているし、また影響もうけている。同じくスカムの土壌をベースにもつが浮舌はそれを超ハイファイな方向性に洗練させていたったし、私は音響をベースに独自の美学と矜持をもって仕事に臨んでいる。

そんな浮舌が結婚するという。お相手は鈴木ゆみちゃんで、最初浮舌の彼女として紹介され、フォレストリミットのバーをたまに手伝ってくれたりしていた。
彼女はバンドをやっており、数年前にエンジニアリングをして欲しいという要望を受けた。経験の浅かった私だったが、とりあえずやってみるのDIYの精神でレコーディングに参加した。「恋のパイナップル」へエンジニアとして関わり合いだして私の音楽観は大きく拡張されることになる。本当に良いバンドだし、そのポップセンスは抜群である。バンドサウンドの力を知ったのは恋パナのレコーディングを通じてだし、その辺りから私のPAの技術も向上していった。まさしく叩き上げられたのである。相方のミスちゃんの育休を経てどう発展していくか楽しみなバンドだ。今回の婚宴でも素晴らしい歌を披露してくれると思う。音源制作の共有をもってゆみちゃんと馴染んでいったが、とても心が優しくて、気遣いが素晴らしいけど勝ち気な性格もあって心強い。浮世離れした浮舌との凹凸コンビがとても美しいと思う。

今、forestlimit初期にあったようなパッションは型を変えて発展していっている。forestlimitは人が織りなす一つの人格だ。理念的には誰の所有物でもない。forestlimitは多くの人の関わりあいをもって成立しているし、その関係性のなかからどんどんアイディアが生まれるし、forestlimit自体が決定されていく。いろんな人種が集まり交流が生まれ時代を打開するべき場所として機能し始めたような気がする。個人としては今、小箱ならではのあるべき使命感のようなものを感じている。ローカルであると同時にソーシャルにつながっていく経路を探っている。人は人それぞれ違う個性をもつし、社会との不和を抱えている。個々の自律したパーソナリティーが社会的な適合を果たす場所、ちょっとわかり辛い言い方もしれないがそんな場所でありたい。その理念の下に、フォレストリミットはみんなの所有物でなければならず、またフリーをとことんまで求めないといけないのだ。社会からの制約が我々を制限している以上、非日常の祝祭の空間にそんな自由を夢見てもいいではないか。しかもそれを夢だけで終わらせられない。強烈な体験が必要なのだ。その陶酔を誘う体験のなかで自由となり自分のあるべき姿を発見することができるかもしれない。
そんなわけで図らずも、当初に抱いていたような人が集まる場所と状況が実現しつつあるが、しかし、それは狙ってそうなったものではなく、日々の営業の素地固めの上に立ちああらわてきた。その前提としてあのトライ&エラーな三年間の実験の日々があったことはいうまでもない。変化が早い時代だからどのような変貌を遂げるかわからないが、そこにリアルがある以上、私には続ける意味がある。

肝心なのはローカルであることと必然的に生まれる人の交流なのだ。この七年間で大きく社会情勢も変動しているし、フォレストリミットの人間関係も変わってきた。マクロなビジョンを持ちつつ目の前の現場の機微に敏感に対応することが非常に重要なのだ。今後どうなるかはお楽しみであり、正直、先の見えない状況下であるが、音楽シーンに関して言えば数年は小箱の黄金期であると予感している。そのため、目の前の友人や出演者、お客さんとしっかりコミュニケーションをとってリアルな感じを共有し続けないとならない。浮舌の力が必要だし、ゆみちゃんの精神的なサポートを受けつつリアルさの探求はまだ続く。

浮舌もゆみちゃんも大切な友達である。8年の月日を共にした特別な友人である。その特別さは経験したことが無い人にはわからない友情なのかもしれない。ただ、二人との出会いは私にとって運命であった。運命は時として唐突にさりげなく訪れ、時の経過とともにそれは運命だったと理解できるようになる。そのような運命の結びつきのなかで、forestlimitという生きる運動体にどのような型であれ今後も参加してくれるだろうけど、二人に対する感謝の気持ちを忘れたことはない。業者に発注していた「理想の設計図」を破り捨てた時点で、foretlimitは「場所」であると同時に「運動体」になったのだ。それはアートを母に持ち、リベラルな気風を父に持つとてもとても刺激的な運動体なのである。このような場所は世界中みまわしてもそうそうないと確信している。そのきっかけは浮舌及び20tn!がもたらしてくれたことは明記しておきたい。

お二人の新しい出発を記念してとても多くの方にご出演頂く婚宴を開催する。浮舌とゆみちゃんのライフストーリーのなかでとても大切な瞬間をいっしょにシェアして盛り上げさせて頂けるのは光栄のかぎりである。今後のお二人の幸せな家庭生活を願います。いつもありがとう。そしてこれからも宜しくお願いします。ご結婚を心からお祝いします。

forestlimit代表 ナパーム片岡 拝

(2010/03/20 forestlimitオープン記念パーティのフライヤー・デザイン 浮舌大輔)

(2010年時、forestlimitの最初期イメージ写真 Phote by Ryosuke kikuchi)